ちょっとだけ途中下車 Annex Ⅱ

日本国内どこにでも出歩くAll About 名所・旧跡ガイドの公式ブログです。

旧 岩泉駅

次に向かったのは岩泉町。

町の中心部からややはずれた所にあったのは旧 岩泉駅

●旧 岩泉駅(2015年7月4日撮影)

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JR岩泉線の終点でしたが、途中が土砂崩れにより長期間不通となった後、復旧することなく廃止されました。
建物自体は岩泉町が活用しているようで、こんな立派な形をまだ残しています。

ホームや線路、車止めも残っていました。
「ここに鉄道が走っていた」という痕跡をはっきりと見ることができましたね。

「金刀比羅宮(こんぴらさん)」の記事をリライトしました

「All About 名所・旧跡」から記事のリライトのご紹介です。

「こんぴらふねふね…」でおなじみの金刀比羅宮
こんぴらさん」の愛称で親しまれています。
785段の石段を登って本宮へ、そして奥社までは合計1368段の石段を登る必要がありますが、お詣りしたという達成感は何物にも代えられない嬉しさがありますよ。

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※今回10年ぶりにリライトしました。大きな写真でお楽しみいただけます。

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津波浸水区間の標識(その2)

大山崎から国道45号線に向かう途中で見かけた過去の津波浸水区間の標識。

津波浸水区間の標識(2015年7月4日撮影)

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海岸沿いを走る県道44号線にあった標識ですが、この標識があった海抜は37メートル。
この高さまで津波が駆け上がったというのを改めて思い知りました。

「宮島・嚴島神社」の記事をリライトしました

「All About 名所・旧跡」から記事のリライトのご紹介です。

日本三景の一つに数えられる安芸の宮島日本三景の中で唯一世界遺産に認定された地でもあります。
海に浮かぶ赤い鳥居でおなじみの嚴島神社と宮島へのアプローチの仕方などをご紹介しています。

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※今回8年ぶりにリライトしました。大きな写真でお楽しみ下さい。

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黒崎・北緯40度のシンボル塔

くろさき荘で目覚めた朝。
出発前に周辺を散策してみました。

真っ先に目に着いたのが地球儀のついたモニュメント。

●北緯40度のシンボル塔(2015年7月4日撮影)

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このモニュメントは「北緯40度のシンボル塔」とのこと。
普代村には、北緯40度線が通っているのだそうですよ。

大井川鐡道 SLかわね路号

海の日三連休の中日。
SLがほぼ毎日運行されている大井川鐡道を久しぶりに訪れました。

千頭駅に入場すると、ちょうどSLかわね路号が到着する所でした。

●SLかわね路号(2016年7月17日撮影)

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黒い蒸気機関車が旧型客車を引いてくる姿は、まさに昭和にタイムスリップしたような懐かしい感じでした。

国民宿舎 くろさき荘

島越駅を後にして、今夜の宿泊先へ。
普代村にある国民宿舎 くろさき荘に泊まりました。

国民宿舎 くろさき荘(2015年7月3日撮影)

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部屋のすぐ先は太平洋が広がる素晴らしい眺め。
ここで旅の疲れを癒しました。

三陸鉄道 島越駅

三陸の海岸沿いを走り、三陸鉄道の島越(しまのこし)駅にやってきました。

三陸鉄道 島越駅(2015年7月3日撮影)

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島越駅周辺は、東日本大震災による大津波でほとんどの建物が波にさらわれてしまいました。
島越駅の駅舎も流され、三陸鉄道の高架橋さえも崩れてしまう大きな被害でした。

大震災から4年以上の月日が過ぎ、駅舎と鉄路は復旧しましたが、駅周辺では駅前広場の再整備が行われている状況でした。

駅はもともと川を挟んで宮古寄りにありましたが、復旧に当たって久慈寄りに移設されています。
旧駅舎側には、大津波でかろうじて残った旧駅の階段と宮沢賢治の「発動機船 二」の詩碑がありました。
大震災の遺構としてこのままの形で保存されるようです。